湯治の歴史をもつ城崎温泉

 
温泉と桶

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はじめに

城崎温泉は平安時代から知られている温泉地です。江戸時代には温泉街が形成されており、明治の初めには温泉旅館が50軒以上ありました。当時の温泉地は観光ではなく、湯治場としての役割が主体でした。ここでは簡単な歴史と、湯治としての温泉の入浴方法をご紹介します。

湯治の歴史

湯治場から観光地としての温泉地に転換したのは明治時代後期と言われています。1909年に城崎に鉄道が開通、1917年に志賀直哉の小説「城の崎にて」が発表され、多くの観光客を受け入れるようになりました。1919年には30万人を超える観光客が訪れたとの事です。

ちなみに、1897年に城崎を訪れたのは約1万5千人と言われ、ほとんどは湯治客でした。小説「城の崎にて」の冒頭に「電車に跳ね飛ばされて怪我をしたので、養生のため城崎温泉に出掛けた」とあります。

古来から温泉の効能は広く知られていましたが、科学的な観点から湯治が研究されたのは江戸時代です。 「一本堂薬選」をまとめた香川修庵、香川の師である後藤艮山が有名です。彼らによると、

あらゆる病気は陽の「気」と陰の「気」の不調和によって生ずる。これを解消するには温泉の効能が一番よい。

と説きました。さらには、「高温・僅かに塩辛い味・色などの観点より、城崎温泉が日本一である」と紹介されました。

湯治としての入浴方法

古くは古式入湯作法と呼ばれる作法がありました。まずは温泉寺へお参りし入浴法を教えて頂いた上で、お寺から湯杓を授かり、それを使ってお湯を浴び、帰るときには温泉寺へお礼参りとともに湯杓を奉納して帰るという手順です。昭和40年代の高度経済成長時の旅行ブームとともに、この作法を行う方が激減したとの事です。

実際に湯治を行う場合は、数週間の長い逗留を前提とします。湯治される方の体調・体力によりますので 一般的なイメージを記します。

まずは朝と夕に1回ずつ、温泉に入浴します。これを約1週間続けると「湯あたり」という気だるい感じになります。そうなったら入浴を控えます。徐々に復調するとともに、本来直したい病気も治癒していくと言われています。つまり、本来持っている自然治癒力を引き出すイメージですね。
昔からの言い伝えなので医学的根拠を持ち合わせておりませんが、知識として参考にして頂ければ幸いです。

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